ノン・ファンジブル・メモリアル【第1回NFT小説大賞 入賞作品】

 大学二年の秋、大学祭で、音楽カフェをやろうという話になった。楽器ができるメンバーで得意の曲を持ちより、メニューを作る。客は飲み物を頼むと、メニューから曲をリクエストできる。

 そのサークル、クラシック同好会には顔を出したり出さなかったりしていたが、オレも頼られて出演することになった。候補メニューのほとんどがピアノのクラシック曲であるなか、オレはゲーム音楽や、二〇一〇年代の懐メロのいくつかをギターでつま弾けたので、集客に期待されたようだ。

 大学祭までの毎日は楽しかった。当日に向けて練習しながら、内装を整えたり、タイムテーブルを作ったり、雑貨店でメイド服でも買ってきて女の子に着せてみたり。みんなの一体感が醸成される高揚感は、あのとき、なにものにも代えがたかった。

 けれども当日になって、オレは何となく億劫になってしまった。準備を通して距離を縮めた小林さんが実は部長と長い付き合いだとわかったのも、興の醒めた一因だった。着替えもせず布団のなかで時間が過ぎて、ああ、もう大学祭は始まってるな、どんな屋台が出てるかな、ミスコン紹介は何時だっけ、などと思っていると、ケータイに十数件の着信のあるのに気付いた。ぎょっとすると、また鳴った。そんなに親しくもないサークルの一人だ。しばらくして、今度は小林さん。次に部長。鳴るたびに心臓がぎゅっと縮む。

 そのうち腹が立ってきた。これだけ着信を受けても出ないのだ。何か事情があるのかなとか、察してくれてもいいだろう。しつこく催促だけして自分勝手だ。オレは無造作にケータイの電源を切り、かわりにプレイステーションを起動した。

 結局大学祭には一日も行かなかった。サークルにも顔を出しにくくなり、しばらく後ろめたい気持ちが続いた。そこで、いっそ無かったことにすることにした。貸し借りのあったわけでもなし、彼らと切れたところでオレの人生に影響はない。そもそもクラシック同好会なんて、なんで顔を出したんだっけ。

結局のところ、他人から見える自分はごく表層でしかなく、そうした自分も、人間関係だって、いくらでも代替はきく。辞めてやり直せばいい。

 オレはチャットのチャネルを退会し、何人かはブロックをして、それですっきり、彼らのことは忘れてしまった。

 梅雨明けの強烈な陽射しに灼かれて、遠藤タイラは息も絶え絶えでいた。やっとの思いでマンションのゴローの部屋のドアを開けると、冷えた空気が火照ったタイラの身体に沁みる。

「向かいの小学校さ、三階の高さにいきなり扉だけあって、あれ中から開けたら落ちちゃうよな」

 と、タイラが靴を脱ぎながら報告すると、奥からゴローの投げやりな声が届いた。

「そりゃ、バグだな。気付かなかった」

「ああいう無意味な建築構造を<トマソン>と呼ぶらしい」

大学三年の夏。人生で最も暇な季節のひとつを、タイラの学友、明智ゴローは薄暗い部屋に引き籠って過ごしている。コクピットみたいに組み上げられた五台のディスプレイに囲まれ、いかついゲーミングチェアが、格闘技で鍛えたゴローの体躯をすっかり覆っている。

「タイラ、お前またアカウント消しただろ。<乙夜>はどうした」

「別に理由なんか。飽きただけだよ」

「そうやってすぐにアカウントを使い捨てるの、どうなのよ」

 言われながら、タイラはソファのひんやりとした肌に身体を落ち着ける。

「それこそトマソンみたいなもんさ。続きもしない人間関係に意味なんかない」

「ま、気持ちはよくわかるんだがよ。ふうん、新しいアカウント名は<丙吉>か。二十七歳弁理士、特許事務所経営って、またマニアックな設定思いついたな」

 と、ゴローはタイラの昨日作ったばかりのアカウントを突き止めて笑った。

「そういうゴローは何やってんだ?」

「<ライフ・チェーン>ていうコミュニケーション空間。始めてみたんだ」

「<案内所>の新しい縄張りか」

「どうだろうな。ここは実名と紐づくのが前提だから。ボットも使えないし」

ゴローは講義に出るのもそこそこに怪しげなマッチングサイトを運営していた。いまや仮想の世界は多様に、複雑に入り組んでいる。出会いのホットスポットは日々逃げ水のように移ろいゆく。ゴローはそれら生態圏の様々な場所に入り込んでは、ツールを駆使して情報を集めて、穴場を紹介しているのだった。

「で?」

ッターン、と、ゴローがキーを激しく打つ。

「好きな女ができたって?」

「ああ」

 タイラがゴローを訪れるのは、だいたいが頼みごとのあるときだ。

「その子のアカウントを特定したい。やれるか?」

ゲーミングチェアがゆっくり回って、ゴローの身体がタイラに向いた。

「話を聞こうか」


「オンラインゲームで相手の素顔が見えるってこと、あるのかな」

 と、タイラは切り出す。

「それは状況によるんじゃないか」

「新しいゲームを試してみたんだ。仮想空間で過ごす系の、広告でたまたま見たやつ。暇つぶしでさ。そしたら、すごいの見ちゃったんだよね。めちゃくちゃ重武装のラスボスみたいなプレイヤーを、小柄の別のプレイヤーが一蹴してさ」

「格闘かアクション系?」

「そうじゃないから問題なんだ。基本はアイテム集めが趣旨のゲームで、ステイタス強化が勝負のカギで、アクションバトルの要素はオマケで。だけど、その女の子はあり得ない体捌きで重武装を瞬殺してさ。超絶技巧って言うの? 周りのプレイヤーも大騒ぎ。で、事件はそのとき起きた。彼女のプレイヤーキャラの顔のところが、一瞬素顔になったんだ」

「最近、表情をトラックしてキャラに反映させるシステムを見かけるが、その不具合かな」

「その子はすぐに退出して、アカウントを消してしまった」

「顔バレはさすがにヤバいからな。それで?」

 すると、タイラは少しためらいつつも、力強く言葉を吐いた。

「めっっっちゃ、可愛かったんだよね」

「ほう?」

「うん」

「えっ。それだけ? それだけで惚れたの?」

「目が合ったんだ。他に惚れるのに理由がいるかよ。で、頼みはさ、アカウントを消したその子の素性をさ、何とか特定したいんだ」

「特定してどうする」

「それは、そのとき考える」

 気軽に言うタイラの様子に、ゴローはため息をつく。

「仮想世界でちょっとすれ違っただけのプレイヤーを突き止めるって、簡単に言ってくれるね。しかもアカウントも消えてるときた」

「頼むっ。頼むよゴロー。あの瞬間、彼女と視線が結ばれたとき、何かが違ったんだ。何か、こう、世界のフェイズが変わるというか、その、こう言うと月並みかもしれないけれど……」

「つまり<運命の人>ルートに入ったわけね。はいはい」

 ゴローのため息がさらに深まる。

「で、そのプレイヤーの、消える前のアカウント名は?」

「覚えてない」

「仲間はいた?」

「いや、一人」

「よくその場所では見かけたの?」

「会ったのはその時が初めて」

「手がかり何にもねーじゃねーか。じゃあ、そのゲームのタイトルは?」

訊かれて、タイラは端末の画面を差し出した。ゴローは一瞥するとディスプレイに向き、キーを叩いて調べ始める。

「<ジョブ・トライブスR>。第二世代NFTゲームか。オリジナルの<ジョブ・トライブス>はNFTゲームのさきがけのひとつでカードバトル系のシステムだったが、シリーズ最新作の<R>はプレイヤー自身が職業神の憑依をうけ世界を旅する——。へえ、ベース・トークンのレギュレーションは厳しめなんだな」

 ゴローはひとり納得しているようだった。

「NFTってのは何なんだ?」

「ノン・ファンジブル・トークンの略。直訳すると<非代替性の証書>だな」

「ほーう、なるほど。で、その、NFTってのは何なんだ?」

「ゲームで出てくるアイテムってさ、例えば剣なら剣で、みんな同じデータだろ。けどNFTの場合、同じ種類のアイテムでもそれぞれ個別に、区別して扱えるようになる。さらにはアイテムごとに個性を持たせたり、ゲーム外で交換できたり。それはNFTがブロックチェーン上で管理され、分散性と改竄不可能性とが担保されているためなんだが……、要するに、だ」

 急速に眠気をもよおすタイラ顔色をみて、ゴローは結論を急いだ。

「その子はおそらくまた<ジョブ・トライブスR>に現れる。待ち伏せが有効だ」

 雰囲気のある中世ヨーロッパ風の村落を背に、長身のアバターが背筋を伸ばす。

「オレは<ベンチャー・キャピタリスト>、投資家だ。情報収集に向くようだ」

 と、ゴローがぶっきらぼうに言う。不思議と、ビジネススーツをモチーフにした意匠に違和感はない。

 <ジョブ・トライブスR>では、プレイヤーは職業神と呼ばれる属性をもつキャラクターになり、ゲーム世界を冒険したり、敵を倒しながらアイテムを得る。目的はより価値のあるアイテムを集めることで、既存のものから鍛えたり、プレイヤー自ら創ってもいい。

「で、何でオレは<木こり>なわけ?」

 ビジュアルこそ挑戦的だが、それにしても、とタイラは思うのだった。ちなみに前アカウントでのプレイ時は<ダウジング師>だった。

 「第二世代NFTゲームの特徴は、プレイヤー自身もNFT化されることだ。キャラクターにはプレイヤーの個性が反映され、プレイに応じて変化もする」

「つまり、オレの個性は木こりであると」

「転職もできるが……オレは悪くないと思うがな。そうして成長させたプレイヤー・キャラクターは、市場で取引することができる。芸能人が自分のキャラとかプレイログを高値で売るの、聞いたことあるだろ」

 大通り沿いの広場はたくさんのプレイヤーで賑わっていた。ポップな衣装や、ド派手な装備を纏う者も少なくなく、現代的な職業を彷彿させるプレイヤーは相対的に地味にみえる。広場に看板やら張り紙やらが並ぶなか、怒号を張り上げる者たちもいた。

「我々序武虎騎士団は第三次団員募集を開始する! 目標は<塗師のヨシオ>の討伐。奴にやられた者はいないか。共に報復の剣を抜こう」

「ありゃあプレイヤー同士の抗争だな」

 と、ゴローがささやく。

「この世界じゃアイテムを奪うのもアリらしいから、気を付けないとな。さて、オレたちも仲間を集めよう。ウホッ、あのプレイヤー露出高けーな!」

「待て、普通にプレイするのか? そもそも、その子がまたこのゲームに現れるってなぜわかるんだ」

 ゴローは広場の女性プレイヤーをまじまじと物色しつつ、タイラに答える。

「第二世代NFTゲームの場合、アカウントを消しても、プレイヤーキャラの基礎となったパラメータはトークンとして維持される。これを<ベース・トークン>という。この特性を全く別のゲームにも引き継げるのが、NFTゲームの特徴のひとつだ。ただし、引き継げるパラメータの自由度はゲームごとに微妙に異なる。で、このゲームだが、<R>は厳しめの規格でな。ここで育てたキャラを引き継げるゲームがまだ少ないんだ」

「なるほど?」

「タイラの目当てのその子、聞いた感じじゃ相当やりこんでいただろう。そんなプレイログの引継ぎ先が他にないなら、またここに現れる可能性は高いはずだ」

「なるほどな。ま、オレもそんな気はしてたんだよね」

「もちろん現れたとしても、全く別のアカウント、別の見た目だろうだから、一般的に同定するのは難しい。が……」

 言いながら、ゴローは二人組のプレイヤーに標的を定めた。スレンダーで煌びやかなスーツ姿の女性と、だぶついたローブを纏った小柄の少女。いずれも露出こそ控えめだが、色気は十分に伝わってくる。

「オレはなんとか目標を見つけ出す。その間にタイラはこの世界で信用を作れ」

「信用?」

「詳しい話はあとだ」

 ゴローはタイラとの会話を切り上げると、足早に彼女たちに近寄り声をかけ、普段とは別人のように柔らかなトークを繰り出しはじめた。


 ゴローのスキルのおかげで、二人とはすぐに打ち解けられた。

 スーツ姿の女性の職業は<重役秘書>。話を聞けば現実では水商売を営むといい、その包容力と大人びた魅力はタイラを不自然に緊張させた。小柄の少女、<風水師>はまだ高校生で、人懐こい性格で、タイラを兄と呼んで慕ってくれた。

 ゴローの予想の通り、<木こり>は悪いものではなかった。素材を見つけるのに長けていたからだ。<風水師>の特殊能力<神託>を利用し、大まかな場所さえ特定すれば、いくらでも希少な素材を手に入れることができた。

それら素材をもとに、タイラはオリジナルのアイテムを創った。

ゲーム世界の流行や、職業との相性なども考えつつ、能力を決め、そこに独自のデザインを施す。武器、防具、装飾品、あるいはゲームの役には立たないものでも、何でも創った。

最初は彼女が見つかるまでの暇つぶしのつもりだったが、タイラの創る独特の意匠は、すぐにプレイヤーたちの目を引いた。タイラにはそうした才能があった。

<重役秘書>の効果的な売り込みも手伝い、創ったアイテムは高値で売れた。売れたがためにタイラのアカウント名<丙吉>の知名度は高まり、高まった知名度はアイテムをさらに高値で流通させた。

タイラと<重役秘書>と<風水師>と、三人は自分たちが最高のチームであると認め合い、結束を深めた。<重役秘書>は夜勤明けのチャットで冗談ともつかない甘言を囁き、<風水師>はますますタイラを慕って、褒めてやれば子犬のように喜んだ。

「ぐっへへ。今日だけで収益なんと二万DEP。笑いが止まりませんわ」

「タイラ、目的を忘れちゃいないだろうな」

 タイラがひとり、待ち合わせの鉱山地帯を訪れると、先着していたゴローは見慣れぬプレイヤーを伴っていた。筋骨隆々の体躯はゴローの長身をもさらに越え、全身を覆う黄銅製の鎧には流麗な装飾が施されている。

「こいつはダミープレイヤー。オレのベース・トークンから別に切り出した、いわばコピーだ」

「そんなことできるんだ」

「運営にバレたら即強制退会だけどな。職業は<経済産業大臣>。最強クラスの職業神だ。入手にゃ苦労したんだぜ。こいつで、今からあの女の子を襲う」

 ゴローが示した先を、一人の小柄な少女が歩いている。膝丈のスカートと制服を模した姿は田舎の中学生みたいだが、不釣り合いに巨大な大剣を背負っている。

「ダミーに探させた候補の一人だ。最近アカウント登録し、しかしアクションバトルに長け、単独行動のプレイヤー。ああ見えて相当の実力者だ。それでも、<経産大臣>には勝てないだろうが」

「あの子を襲ってどうするんだよ」

「そこをタイラが助けるんだろ。出会いだよ、出会い」

「うっわー、ベタな作戦」

「助けたら仲良くなって、顔出しのチャットに持ち込め。それで目当ての子か確かめ、って、おい……」

 と、ゴローが言葉を止める。

 ゴローの視線の先、少女を見やると、彼女は荒野に立ち止まり、背にしていたはずの大剣を振り上げていた。

剣はゆったりと弧を描き、地面と水平のところでぴたりと止まる。少女は腰を落とし、臨戦の構えをとる。

剣の切っ先の向こうには、別のプレイヤーが現れていた。薄汚れた和装姿の壮年の男。袴のテクスチャはしわくちゃで、その裾はひざ下の脚絆に絞られている。

少女と、壮年の男が、間合いを保ち対峙する。

「ち、邪魔が入りやがった」

 と、ゴローが悪態をついた次の瞬間、少女の身体が電光の如く奔って、大剣が大地を裂いた。地面がクレーターのようにえぐれる。

が、それと交錯して男の一撃が少女を襲ったのを、タイラは見逃さなかった。

粉塵も収まらぬうちに少女は砕け、消えてしまった。

場には男ひとりが残されている。手には小刀。

「おいおいおい、あいつ、何してくれやがる」

 と、ゴローが思わず語気を荒げる。同時に、男の姿が消える。

「大臣シリーズか、強そうだね」

 気付けば男はゴローとタイラの目と鼻の先、<経産大臣>の懐のうちに迫っていた。

 <経産大臣>は瞬時に戦闘舞踏<産業構造審議会>を展開し、<惨・愕・貫>の呪符が雷を帯びた隕鉄弾となって一帯を穿って、電撃と爆風が全てを包む。ところが、どうしたことか男はそのことごとくを躱して、当たらない。

そうこうしている間に陣風一閃、男は<経産大臣>を紙のように引き裂いてしまった。

男は返す刃でゴローを屠る。

タイラがひとり残される。

タイラは護身用に創った斧を構えたが、付け焼刃とはこのことだ。蛇に睨まれた蛙の如く、動けない。しかしその脳裏では、男の鮮やかな体捌きが何度も、何度でもリプレイを繰り返すのだった。

「あ、あのっ」

 と、機先を制したのはタイラだった。

「オレと、食事に行ってもらえませんかっ」

 気がつけば、タイラはデートを申し込んでいた。

新宿駅南口の改札近くで、タイラは柱の陰に立ち、行きかう人の一人ひとりを確かめる。陽はすでに沈みはじめたが、街は明るい。

——美人だが、ライトグリーンの髪はさすがに派手過ぎる。看護学生ではないだろう。黒髪の清楚なあの子、こっちに向ってくる、けど地味すぎる、まさかこの子か、ああ、行ってしまった、でも違って良かった。それともあの子か、いや、やっぱり違う。

 期待は高まるが、同時に、期待が満たされなかった場合を考えると不安になった。実物の彼女はどんなだろう。夢は覚めない方が幸せだろうか。タイラは逃げ出したくなるのをこらえる。たわわな胸の行き過ぎるのに、目が引きずられる。

 あの日遭遇した小刀の男は、<塗師のヨシオ>として知られる武闘派だった。軽装ながら、強力な他プレイヤーにバトルを仕掛け、敗けを知らないらしい。その洗練された体捌きは、あの日見た彼女そのものだった。タイラにはそれがわかった。

 タイラの最初の申し出こそ一蹴されたが、<ヨシオ>との関係を築く橋頭保としては十分だった。タイラは執念深く対話を続け、慎重に<ヨシオ>との距離を縮めた。<ヨシオ>がタイラの創るアイテムに興味を示したことも幸いした。

 やがてタイラは、<ヨシオ>の正体がやはり女性であること、看護学校に通っていること、恋人がいないこと、等々を聞き出し、四度目の懇願でついに、現実でのデートにこぎつけたのだった。

その間に<風水師>と<重役秘書>は去ったが、彼女らなどもはやタイラの関心の及ぶところではない。

タイラは、<ヨシオ>のプレイヤーが目当ての彼女であることを確信している。不安は、その現実の姿が期待と異なることだった。思えば素顔が見えたのは一瞬だけで、記憶も美化されている可能性がある。

——いざとなれば、関係を切ればいいだけだ。

 と、自分の心の予防のために、タイラは期待値を下げる想像をした。

——今日一日遊んで、それで終わりにすればいい。大学の奴らと同じ。人間なんて、みんな一期一会の関係に過ぎない。こっちのアカウントを変えればおしまい。だからどんな子が来たって、オレの人生に影響はない。大丈夫。

 そこでタイラは首をかしげた。

「ゴローとは、何で知り合ったんだっけ」

 ふと、タイラはふうわりとした香りに気付く。思わず視線を下げると、タイラの胸ほどの背の女性がひとり、タイラを見上げて立っていた。上目遣いの大きな瞳と、タイラの視線が結ばれる。

 タイラは思わず息を呑む。

 整ったその顔立ちは、あの日、<ジョブ・トライブスR>のバグで垣間見たあの子と寸分違うことはなかった。違うどころの話ではない。高解像のその姿は潤いに溢れて、タイラの鼻腔をますます爽やかな香りで満たして、手の届くリアルで血を通わせている。

——勝った!

 タイラは心の中で宣言をする。何との勝負かわからないけど、タイラはいま、自分が勝者であることを確信した。

 そうしてタイラが全能感を漲らせるなか、ふいに、彼女の瞳に驚きの色が走った。

「タイラ……くん?」

「え」

 彼女が口にしたのは、タイラの本名だった。

 タイラは戦慄した。

——名前を呼ばれた。なぜ。オレは一度も教えていない。<ジョブ・トライブスR>のプロフィールから? 他プレイヤーには見えないはずだし、そこも偽名を入れている。ゴローが教えたのか? それはまずない。何で知られた? どこかで会った? 昔、むかし、……。

 タイラの脳裏にいくつかの記憶がよぎる。

教室。学校。ノートに描かれた歪な絵。握りしめられた鉛筆。そして——

動悸が発作のように起きて、それでも、タイラはやっとのことで声を絞った。

「遠藤<丙吉>、です」

 あくまでアカウント名を名乗ると、彼女は形容しがたい表情を浮かべた。意外そうな、気まずそうな、そのどちらでもないような。

「ごめんなさい、私は、小林です。小林ヨシミ。<ヨシオ>のプレイヤーの……」

 瑞々しい声色がタイラの胸元をくすぐる。その音色が脳髄にこだまする。

 誘う口実にした映画が終わって、少しだけ背伸びした価格帯の居酒屋の、半個室のテーブルで向き合い、グラスをぶつける。

 距離を測り合うのは本当に最初だけだった。映画の感想から始めた会話は意外な盛り上がりをみせて、タイラのふとした言葉にヨシミは弾けるように笑い、そこから話題は二転、三転、転がり続けた。

ゲームの話になったのは、互いにすっかり酔いが回ってからだった。

「それにしてもさ、圧倒的すぎるよね」

「えー、そんなことないよ」

「あるでしょ。いつから<R>やってるの?」

「一年くらい、かなあ。学校が実習とかで忙しすぎて、最初はストレス解消ではじめたの。そのまま惰性で続けちゃってる」

「昨日も序武虎騎士団が<ヨシオ>討伐の第五次募集かけてたし。でもなんで男性キャラを?」

「へへ、シブいでしょ。なーんて。何も考えてなかっただけなんだけど。一度アカウントを変えて、女の子のキャラを使ったりもしたんだけど、色々あってね。また<ヨシオ>に戻ってきちゃった」

 色々あって、というのはおそらくバグによる素顔露呈の事件だが、タイラは聞き流した。

「<丙吉>さんは、きっかけは?」

「オレも始めたのは偶然だよ。仕事忙しくて、広告でたまたま見かけて、ストレス解消で」

「弁理士さん、だっけ? お仕事大変そう」

「ん、まあね……。クライアントの開発時期によっては? 出願業務が立て込むからキツいかなあ。だけど、ある程度自分でコントロールできる仕事だし? それなりに充実してる」

 ネットで漁った知識を確からしく伝えることに、タイラはよく慣れていた。

別にタイラだけではないだろう。みんな、何かのキャラクターになりきっている。自分を誰かに置き換えている。それは自分を守るためのリテラシーであり、だから、つい<丙吉>と名乗ったことも間違いじゃない。タイラはそう考える。

 けれども。と、タイラは思う。

彼女には、ヨシミに対しては、そんな必要はなかったのかもしれない。こんなに話が合うとは思わなかった。

——なーんちゃって、本当はオレもまだ学生なんだよね。名前も実は……

「中学とかの頃にもさ、必ずいたよね。ノートにマンガ描いてる子」

「えっ?」

 タイラの脳内シミュレーションがかき消される。話題はいつの間にか別のところに飛んでいた。

「休み時間もずっと机に向ってて。それを他の子に見られて、怒り出したりして、それでまたからかわれて。あの男子たち、ひどかったなあ」

 ヨシミが昔を懐かしんで笑う。

その情景を、タイラは昨日のことのように思い出すことができた。

 自分だけの世界。ゲームでもなく、映画でもなく、与えられはせず、創る世界。鉛筆を進めるたびに形になる白昼夢。

それは、何にも守られていない世界。ゲーム機にも、映画館にも、自分以外の他の誰にも。ノートを取られるだけで簡単に奪われ、凌辱される。崩される。

奪う側には大した悪気もないのだろう。次の日には忘れる程度のことだろう。けれども奪われたそれは自分そのものだった。彼らに弄ばれたのは、したためた自分自身の、誰にも見られたくない臓腑だった。

 決め手は、親友だったはずのクラスメイトの一言だ。

「ホントはオレもキモチ悪いなって、思ってた。ウマけりゃいいけど、お前、ヘタじゃん。なんか恥ずかしいよ」

タイラは鉛筆を持てなくなった。

 しばらく学校を休んだ。

当然のように親に叱られ、ようやくの思いで教室の扉を開けると、世界はタイラの知らない場所に変わっていた。

だからタイラは、自分を別人にするより仕方なかった。別の誰かになることで、本当の自分を守ろうとした。

「それでもさ、自分でつくれる人って、すごいなあって思うんだよね」

「え、何を……」

 再び我に返って、タイラは思わず訊き返す。ヨシミは目を丸くして、そして笑った。

「やだ、酔ってる? <丙吉>さんの創るもの、私すごく好きなんだよね。ああゆうの、自分で考えつけるのすごいよねって」

 本当だろうか、とタイラは思う。

 あんな上辺だけの、取ってつけたような意匠を、どこまで本気で褒めているのだろう。あんなのは本気じゃない。じゃあ本当の自分を見せたとして、果たして分かってくれるのだろうか。そこに自分を見つけてくれるだろうか。

 タイラが言葉を継げずにいると、その視線を呑みこみ返すように、ヨシミの瞳がタイラを包んだ。

 気がつけば、すいぶん遅い時間になっていた。

火照った頬。

濡れたように艶やかな髪、華奢な肩。口元がわずかに微笑んでいる。

そこには、あの日出会ったままの完璧な姿の彼女が在った。

「ねえ」

 少しだけかしこまった声。

 思わずタイラの胸が高まる。控えめにみて、二人は意気投合したと言えるだろう。笑いの絶えぬまま、夜は深まり、ほどよく酔った若い二人。喉が張り付くようで、タイラはうまい相槌がうてない。

——これはもしかして、もしかするのか?

「やっぱりタイラくん、だよね?」

「えっ」

「君はタイラくんだと思う。なんで嘘をついたの?」

 予想外の追及だった。

 実名を告げるつもりではいた。が、思いもよらず機先を取られ、タイラはすぐには言葉を作れない。

その逡巡はわずかな時間に過ぎなかったが、ヨシミの眼の色の冷えていくには十分な時間でもあった。

「お会計、頼もっか」

 ヨシミがテーブルサイドのボタンを押して店員を呼ぶ。

 タイラはようやく説明をいくつか並べたが、ヨシミはただ遠慮気味に笑うのだった。

「別にいいよ。お互い様だし」

「それは、どういう」

「私だって自分は守るし、話だって合わせるし」

 <塗師のヨシオ>は消えた。

 ゴローは継続して<ジョブ・トライブスR>の世界を見張ってくれたが、似た傾向のプレイヤーが現れることはなかった。

 タイラも何だか虚しくなって、<丙吉>のキャラクターを市場に出すと、<R>からは遠ざかってしまった。<丙吉>は悪くない値で売れ、それまでのアイテム販売での稼ぎもあって、しばらくはバイトをせずとも良さそうだった。

 秋が深まり、木枯らしがタイラの身を縮ませる。四限の授業の後、ゴローのマンションに着くころにはすっかり暗くなっていた。

「<小林ヨシミ>なんてやつ、いなかったぞ」

部屋に入ると、ゴローのぶっきらぼうな声が届いた。

タイラが何のことかと思っていると、ゴローは続けた。

「先週キャンパス祭があって、行ってみたんだ。小林ヨシミの看護学校。だけどそんな生徒はいなかった。ネットで探しても本人らしいのは出てこない。偽名だな」

「なんで今さら調べてんだよ、そんなこと」

「タイラが執着してるからだろ」

「執着? そんなわけあるかよ。一度会っただけの子なんか」

 タイラが思わず語気を荒げると、ゴローは不機嫌な口調で畳み返す。

「別のゲームに誘ってみたって、すぐにアカウントを消しちまうし。合コンだって悪い感じじゃねーのに、一度か二度のデートですぐ切っちゃうし。何よりその顔。明らかに引きずってんだろ」

 ゴローは面倒そうにタイラの顔を睨みつけ、

「あーあ。想定外の分岐に入っちまったな」

 と、ため息をついてゲーミングチェアに身体をもたげた。

 タイラが、何事にも身の入らないのは事実だった。以前に増して何もかもがつまらない。続ける気が起こらない。タイラは、自分の人生がこのままぶつ切りになってしまう気がして、気が遠くなる。

「なあゴロー。小さい頃に戻ってさ、やり直したくなること、あるよな」

「まあな。失敗しても育った時間は巻き戻せない。他人との関係の履歴も同じで、代替できない。自分はノン・ファンジブル。逃げ回っても、いずれは思い知らされる。だが」

 ッターン、とこれ見よがしにキーを叩くと、ゴローはディスプレイの一台を回転させてタイラに向けた。

「最後の手段がないでもない」

「最後の手段?」

「騙されたのが悔しくてな。これはオレの意地だ」

 画面に彼女の笑顔が躍る。そのページには、忘れもしない小林ヨシミの姿があった。プロフィールにしては極めて簡素で、名前だけがあって、<小林ヒナ>と記されている。

 今さらこんなもの、と一蹴しようにも、タイラは彼女への視線を外すことができない。

「<ライフ・チェーン>。最近オープンしたコミュニケーション空間で、いわゆるSNSの一種だな。最近の子はみんなやってるから、探してみたんだ」

 なぜ、いままで忘れていたのだろうか。

 タイラの眼前にあの日の景色が蘇る。中学二年の冬、奪われたノート。悪質なクラスメイト。激昂する自分の罵声。教室の端で嗤う女子たち。

見つめる瞳。

「このサービスの特徴は、自分自身をトークン化して、ブロックチェーンで運用されるリレーション・ネットワークのノードにすること。つまり、自分をNFT化するわけだ。ということは、<塗師のヨシオ>のベース・トークンとも相関があると思って、その逆問題を解いてみた」

 彼女は笑っていなかった。ただ心配そうにタイラを見ていた。

小林ヒナ。紺色の制服を着ている。

「自分のトークン化にあたっては、行動傾向データや、簡単な生体情報も必要になる。つまり生身のデータが必要で、だからボットとか、なりすましとか、怪しいアカウントは登録することはできない。治安の保障されたコミュニケーション空間、それがこのサービスのウリだな」

記憶はさらに遡る。幾つもの場面がフラッシュバックし、グラウンドの木漏れ日の下、夕焼けの教室、そのそこかしらに彼女はいて、そして、そう一度だけ、彼女はタイラに話しかける。

「他のユーザの情報は、最初は名前だけしかわからんが、チェーンのノード間のミルグラム距離、つまり相手との関係性が近付くほど、見える情報は増えていく。ただし、一度築いた関係性は取り消すことはできない。」

——すごいね。

 彼女は言った。その大きな瞳には驚きと、期待があった。

「おい、聞いてんのか?」

「ゴロー。思い出したよ。オレ、思い出したんだ」

「あ?」

 ゴローは訝しげにタイラをうかがうと、そのまま説明を続けた。

「オレのアカウントを使え。お前なら使うことができる。<ライフ・チェーン>上で彼女に近づき、情報を取るんだ。そうすりゃ何か糸口がつかめるだろう」

「ゴロー、オレは……」

「いいんだよ。本来ここまでの介入は避けたいんだが、いつまでも抜け出せねーのはオレも辛い」

「そうじゃないんだ。ゴロー、オレは……」

 タイラの中で、小林ヒナは一個の連続した物語になっていた。なぜ今日まで忘れていたのかはわからない。しかし、ヒナとの再会は運命であり、にもかかわらずタイラは、自らそれを棄てようとした。タイラ自身の分断が、物語を引き裂いた。彼女は繋げようとしてくれていたのに。

「オレは、オレの名前で登録するよ。<遠藤タイラ>で。それでもう一度だけやってみる」

 物語を続けるならば、それはあの日の自分でなくてはならない。欺瞞に満ちた、この自分ではない。

全てを知られてしまうかもしれない。裏切られるかもしれない。次に履歴が絶たれたならば、二度とはその先を繋げなくなるかもしれない。それでも、タイラはタイラとして物語の続きを見たいと思った。

「実名で登録するのか? お前らしくない選択だ。失敗すればやり直しはきかないぞ」

「そういう気持ちになったんだ」

 ゴローはしばらく驚いていたが、お前がそれでいいなら、と呟くと、タイラのNFT化の準備を始めた。ウェブカメラやセンサでひと通りの生体情報をとり、各アカウントに断片化されていた行動傾向履歴をデフラグし、タイラという人間の履歴をひとかたまりに集めていく。

「やっと前に進めるぜ」

 ゴローは嬉しそうに言った。

 その作業を眺めながら、タイラの頭にふと疑問がよぎった。

「ところでさ。さっき、オレがゴローのアカウントを使えるって言ったけど、おかしくないか? なりすましはできないはずだろ」

「ん-、そうだな」

 ゴローは少し考えこんだが、

「ま、もういいか」

 と、ひとり呟くと、ぶっきらぼうにタイラに答えた。

「だってお前、オレのNFTだもん」

 恋愛マッチング・サービス<ノン・ファンジブル・メモリアル>の開発トライアルは順調だ。バグ取りに手間はかかるが、完成に近づいている。

 このゲームでは、プレイヤーは自分自身をNFTキャラクター化し、ゲーム世界で日々を過ごす。NFTキャラクターにはプレイヤーそれぞれの個性が反映され、個性に応じたイベントが起こる。同時に、バックエンドではNFT同士のマッチングが図られ、劇的な出会いが演出される仕掛けだ。NFTやゲーム内の行動はブロックチェーンで管理されるので、プレイヤー間の不正やトラブルは起きにくい。

 ヒトは社会的動物であり、人間関係は最高の娯楽であり続ける。唯一無二の自分をNFT化するというなら、恋愛以上に最適なアプリケーションはないだろう。売り込み先企業の反応も悪くない。

 トライアルでは、大学時代のオレの履歴からテスター用のNFTキャラクターを生成し、オレ自身も世界に入って、ゲームマスターとして奴の行動を監視した。

予想外の挙動もあった。<運命の再会シナリオ>は、再会と同時に疑似記憶が再生され、すでに過去に出会っていたことの演出がされる仕掛けである。ところが、テスターの面倒な性格が災いし、イベント生起が不十分になり、デッドロックに陥ってしまったのだ。まあ、それはオレ自身の性格でもあるわけだけど。

失敗しても、育った時間は巻き戻せない。他人との関係性も同様だ。自分とは、他人から観測される表層の積み重ねでできていて、それは代替することができない。ただ、それが分かっていても、オレはそうした履歴を引きずることの煩わしさには耐えられない。この恋愛マッチング・ゲームも、自分でプレイするかと言われれば微妙だ。

ところが、テスターであるNFTキャラクターが自力でループから脱出したのには驚いた。調べると、そのキャラクターはオレのベース・トークンとの互換性を失っていた。つまりハードフォークが起きたわけだが、あれは何だったのだろう。

<ノン・ファンジブル・メモリアル>の世界では、いまも時間が流れ続けている。テスターも、テストデータとして投入した<小林ヒナ>も、成長し、関係性を更新している。その履歴は代替できない。失敗しても、成功しても。

(了)


■入賞コメント
このたびは栄誉ある賞を賜りありがとうございました。NFTやWeb3.0は「今まさに進行中の未来」だと思います。今回、創作を通してそんな未来のその先を想像するのはとても楽しい時間でした。大賞作品のDNA-NFTも含めて、SF的な構想が現実になることを楽しみにしています!


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